No.1
(リトアニア・ラトビア・エストニア・フィンランド)
(11 日 間)
(2004年5月23日〜6月2日)
バルトの旅行日程
| 日付 |
日数 |
ル − ト |
泊数 |
タイムテ−ブル・内容 |
2004年
5/23(日) |
1 |
成田 → ヘルシンキ → ヴィリニュス
|
2 |
10:55発→ 20:15発→ 21:35着 |
| 24(月) |
2 |
ヴィリニュス |
市内観光 |
| 25(火) |
3 |
ヴィリニュス → リ ガ |
2 |
10:00発 → 14:50着(高速バス) |
| 26(水) |
4 |
リ ガ |
市内観光 |
| 27(木) |
5 |
リ ガ → ターリン |
2 |
10:50発 → 15:50着(高速バス) |
| 28(金) |
6 |
ターリン |
市内観光 |
| 29(土) |
7 |
ターリン → ヘルシンキ |
3 |
9:50発 → 11:30着(高速フェリー) |
| 30(日) |
8 |
ヘルシンキ |
市内観光 |
| 31(月) |
9 |
ヘルシンキ |
市内観光 |
| 6/1(火) |
10 |
ヘルシンキ → 成田 |
機内 |
17:20発 → 〜 |
| 2(水) |
11 |
成田着 |
ー |
08:55着 |
旅のコース

1.バルトの国々(リトアニア・ラトビア・エストニア)
バルト3国。これらの小国はソ連からの命をかけた独立運動を抜きにしては語れない。その運動の過程で流血の惨事を見ながらも、念願の独立を勝ち取ったこれらの諸国は、この5月1日(2004年)に待望のEU加盟を果たし、名実ともにヨ−ロッパの一員となった。この日を迎えた3国の民には感無量のものがあったに違いない。それほど、これらの諸国の歴史は他国の干渉による翻弄の歴史でもあった。
古くは中世時代にドイツ騎士団がこの地に侵攻して支配し、近代に至っては3国ともソ連に併合されるなど、有為転変の歴史に翻弄され続けてきた。それが第一次世界大戦末期の1918年2月〜4月にかけて、リトアニア、エストニア、ラトビアが相次いでロシアからの独立宣言を行い、一応の独立を果たした。しかし、1940年に至ってソ連軍がバルト3国に進駐し、これら3国の国民投票でソ連との合邦を決定して、なすすべもなくソ連に編入されてしまう。
それが1989年、バルト3国のソ連併合を決めた独ソ不可侵条約の秘密議定書が公開され、この不可侵条約50周年記念の同年8月23日、バルト3国の首都タ−リン〜リガ〜ヴィリニュスに至る南北600kmを民族の約半分に当たる200万人が手を結んで「人間の鎖」を作った。これで連帯と独立の意志を強くアピ−ルしたのである。こうして1990年、3国は相次いでソ連からの独立宣言を採択。
翌91年1月、これに対しソ連軍は相次いでリトアニア、ラトビアの首都に武力行使し、ヴィリニュスでは素手で戦車に立ち向かう市民13人が押しつぶされて死亡、リガでは5人の市民が死亡するという「血の日曜日事件」が起こった。こうした悲しい流血を見ながら、同年8月エストニアとラトビアが独立を宣言、ロシア共和国はそれを承認して、翌9月にはリトアニアの首都ヴィリニュスから駐留ソ連軍が撤退を開始した。
こうしてバルト3国の市民たちは命がけで悲願の独立を達成し、長い道程を経て13年後のこの5月にようやくEU加盟を果たしたのである。リトアニアの人口348万人(横浜市346万人)、ラトビア237万人(大阪市249万人)、エストニア136万人(京都市138万人)と、日本の主要都市の人口ほどしかない3国である。しかし、有為転変の歴史の嵐に翻弄されながらも、ついには民族意識の強さと連帯感で独立を勝ち取った気骨のある人たちであり、国々である。
そんな波乱に満ちた歴史的背景をもつバルトの国々はいま、どんな顔を見せているのだろう? この5月下旬、初春とはいえ、まだ肌寒い現地に足を踏み入れてみた。
2.旅の準備とコ−ス
ヨ−ロッパへは一番の最短時間で着くと自慢するフィンランド航空の早割りチケットを購入し、ヘルシンキ経由でリトアニア・ヴィリニュスに入ることにした。そして、そこから→ラトビア・リガ→エストニア・タ−リンと高速バスで北上しながら移動し、タ−リンからはバルト海を高速フェリ−で渡り、ヘルシンキへ戻ることにした。3国間では鉄道の発達が見られず、バスが便利なようである。各地のホテル予約、バスやフェリ−のチケットなどは旅行社に手配してもらうことにした。
3国間では観光など90日以内であればいずれもビザ不要で、特に準備するものはない。ただ、通貨は米ドル現金を持参した。3国ともEUに加盟したばかりで、まだユ−ロ通貨は流通していないからである。また、簡単な次の各国語を覚えて行くことにした。
〔日本語〕 〔エストニア語〕 〔ラトビア語〕 〔リトアニア語〕
こんにちは テレパエヴァスト ラブディエン ラバディアナ
はい/いいえ ヤ− / エイ ヤ− / ネ テイプ/ニエ
どうぞ パルン ル−ヅ プラ−シャム
ありがとう アイタ パルディエス アチュ−
1 / 2(数) ウクス/カクス ヴィエンス/ディヴィ ヴィアナス/ド
バスタ−ミナル ブシャ−ム アウトウァスタ アウト-ブス ストティス
港 サダム − −
水 ヴェスィ ウ−デンス ヴァンドゥオ
ビ−ル ウル− アルス アルス
〜はどこですか? クス オン〜? クル イル〜? クル イラ〜?
いくらですか? クイパリュ マクサブ ? シィック マクサ- キィァク カイノウヤ
(リトアニア編)
3.リトアニア・ヴィリニュスへ
11時に成田空港を離陸した満席のフィンランド航空機は、一路北に向かって飛行しながらユ−ラシア大陸を横断し、現地時間の午後2時半、北欧の一角フィンランドのヘルシンキ空港へ到着。約9時間半の飛行だが、白夜のためか夜は訪れないまま。12時間はかかる他のヨ−ロッパ諸国に比べれば短い飛行時間である。ここで乗り継ぎなのだが、ヴィリニュスへの出発時間は、なんと夜の8時15分。それまでの待ち時間が6時間足らずもある。
5時間以上の乗り継ぎ時間に泣く
その日のうちにヴィリニュスへ着けると思って計画したのだが、後になって考えるとこれは失敗だったようだ。やはり、この待ち時間のロスをなくすには、そのままヘルシンキ泊をするのが正解であろう。さて、この6時間あまりの時間をどうやって過ごすかが問題である。いったん入国してヘルシンキ市内観光へ出かけるのも一案だが、それにしては中途半端な時間だし、旅の最後には再度訪れる予定なので、その必要性もあまりない。ということで、結局空港内で過ごすしか手はないようだ。
ここで航空券のリコンファ−ムをしておこうとカウンタ−の係員に尋ねると、その必要はありませんと言う。最近は、そんな航空会社が多くなったようだ。そして、乗り継ぎであっても自由に出入国できるというので、長い行列に並んで入国審査を受け、1階ロビ−へ出る。するとそこには、2m以上の高さはあるかと思われる木製のオブジェが天窓からの明るい陽光を受けて立っている。これに似たものが少し離れてもう一つ立っている。これらが何を象徴しているのか分からないが、芸術作品であることには間違いなさそうで、柔らかい木の素材がなんとも言えず暖か味を醸し出している。

ヘルシンキ空港ロビー

ロビーに設置されている木製のオブジェ
玄関から外に出てみると、空は晴れ上がって北欧の澄んだ空気を強い日差しが貫くように降りそそいでいる。だが空気は冷たく、気温13度と肌寒い。

ヘルシンキ空港
空港外観を撮影すると屋内に戻り、今度は地階へ下りてみる。そこはひっそりとして人影はあまり見えず、旅行社の事務所やホテルのレセプションと、そのいちばん奥にセルフサ−ビスのカフェテリアがあるのみ。辺りを見回すと、静かな一角の壁沿いに畳1枚よりも大きなボ−ドが腰掛用に置かれている。これ幸いに荷物を置くと靴を脱いで上がり込み、両足を投げ出してへたり込む。ここで長期戦の構えである。
やおら、バッグの中から機内食の残りのパンを取り出し、ゆっくりと食べ始める。時間はいくらでもあるので、慌てることはない。やがてそれを食べ終わると、何もすることがない。そうだ、この時間を利用して、3ヶ国語のおさらいとガイドブックを見直しておこう。疲れた頭脳と目を奮い起こしながら、単語を覚え直し、ガイドブックに目を走らせる。これで少々の時間がつぶせたようだ。
夕 食
なんとか5時近くになってくる。そろそろ夕食に奥のカフェテリアへ行って時間をつぶすことにしよう。この時間にはあまり人影がなく、女性店員ものんびり過ごしている。そこで料金のことを尋ねてみると、保温容器に入れられている数種類の調理食品のうち、好みの3品をチョイスして幾らだと言う。これにサラダとコ−ヒ−、ジュ−ス、水などの飲物がつくのだが、これらは自由に飲み食いしていいと言う。
そこで、ライスをベ−スに、これに何やら分からないカレ−風のどろりとしたものを掛けてもらい、これとポテトを選んで乗せてもらう。これらが大皿に盛られるので圧倒されるボリュ−ムである。これで料金は約6ユ−ロ(約820円)。これをテ−ブルに運び、サラダや水を取り揃えて席に着く。その分量に圧倒されそうなので、ここぞとばかりに時間をかけてゆっくりと食事にとりかかる。最後のデザ−トにはコ−ヒ−をもらって来ていただく。
この夕食でなんとか小1時間を過ごせた。出発時間の8時過ぎまで、あと2時間少々である。そろそろ出国手続きをして搭乗ゲ−トに行ってみよう。荷物の検査を受けて通り抜けると、そこは国内線のロビ−である。ここには免税店その他のショップが立ち並んでおり、ウィンド−ショッピングしながら時間をやり過ごすにはもってこいの場所である。だが、小バッグを抱えている身の上では、あまり歩き回れない。
搭乗ゲートへ
このロビ−の奥まった所に国際線のロビ−があり、そこへ通り抜ける際に出国審査が行われる。人込みはなく、あっさりと出国を済ませて搭乗ゲ−トに向かう。間違いないことを確認し、そこのベンチに身を沈めて搭乗を待つ。こうして長い乗り継ぎ時間をどうにかやり過ごし、やっと機内へ搭乗となる。小型のリトアニア航空機は定刻の8時15分に飛び立ち、白夜の明るい空を飛行しながら最初の訪問地ヴィリニュスへ向かう。
窓側に座りながら窓外の様子に眺め入る。陽はようやく傾きかけて今日最後の柔らかい日差しを地上に投げかけている。機は緑の多いヘルシンキ上空を通過しながらバルト海へ抜け、そこをひとまたぎすると、間もなくバルト3国の沿岸域にさしかかる。

緑ゆたかなヘルシンキ上空

バルト海上空を飛行中

エストニアの沿岸地帯
こうして、しばらく内陸部上空を飛行していると高度を下げ、ヴィリニュス上空に至る。

ヴィリニュスの近郊
空港に到着したのは夜の9時半。1時間少々とあっけない飛行であるが、その間にスナックと飲物のサ−ビスがある。短時間飛行ではあるが、一応国際線だからであろう。
ヴィリニュスのこと
ここヴィリニュスはリトアニアの首都で、人口約54万人。この町が初めて記録に登場したのは1323年で、東西貿易の中継地として発展して行く。ところが14世紀末ごろにはポ−ランドの一地方都市となり、第一次世界大戦が始まるとポ−ランドに占領され、第二次大戦終了後にリトアニアの首都として名誉を回復する。先述したように、91年1月には、この町の市民たちは独立を叫んでソ連軍戦車に立ち向かい、13人の市民が戦車に押しつぶされて命を落とすという激しい独立運動を起こしている。
バルト3国の首都では唯一内陸部に開かれた町で、教会は多いがドイツ商人の影響を受けずに建設されたため、タ−リンやリガのように天空を射るような高い尖塔を持つ教会はない。今は緑多き穏やかな町の様子を見せているが、複雑な歴史と気性を持った町でもある。わずか1日の駆け足観光では、そうした町の肌にも触れる余裕はないのかもしれない。
ヴィリニュス到着
そんなことを思いながら、ようやく夕闇の迫るこぢんまりとしたヴィリニュス空港に降り立つと、入国審査を受けてロビ−へ出る。

ヴィリニュス空港

重厚な空港屋舎
果たして、依頼していた出迎えの係は来てくれているのだろうか? 到着時間が夜遅くになるので、ここではホテルまでの送迎を依頼していたのだ。辺りを見回すと、いたいた! 私の名前を記したプラカ−ドを持って係が立っている。ほっと胸をなで下ろしながら近寄り、名乗り出る。出迎え人は現地人で英語が通じる。彼に少し待ってもらって、早速両替だ。この国の通貨はリタスで、1ドル=2.8リタス、1リタス≒0.36ドル≒40円 のレ−トである。日本円は交換できないので、米ドルで少額を交換する。
準備ができたところで車へ案内され、車もほとんど通らないきれいな並木道を走りながら市内のホテルへ向かう。空港から市中心部まで5kの距離なので、車だと10分程度で行ける。この出迎え係から2日後のリガ行き国際バスのチケットを受け取ることになっている。そこで尋ねてみると、すかさずそれを差し出して渡してくれる。確実に連絡が取れていて、ほっと一安心する。
ホテル到着
ほどなく宿泊ホテルに到着し、彼と別れて遅いチェックインを行う。まだ新しい感じのこの大型ホテルは、ロビ−も広くて感じがよく、スカッとしている。夜10時と遅い到着なので予約が心配だったが、ちゃんと確保してあって問題はない。そこで早速、明日の市内観光のことについて尋ねると、2時間半のコ−スがあり、ホテルまでのピックアップサ−ビスもついて料金が59リタス(2,360円)という。その場でこれを申し込むと、明日午前10時に迎えに来ると言う。言葉は英語が通じるので、スム−ズに事が運ぶ。
キ−をもらって部屋に入ると、なかなかのデラックスル−ムで、遅い到着だが快適な第一夜を過ごせそうだ。早速、旅装を解き、シャワ−を浴びて一息つく。バスタブがないのが残念で、またお茶の用意もないのが寂しい。とまれ、徹夜状態の身体をベッドに沈め、ゆっくりと旅の夢を結ぶとしよう。明日も晴れてくれればいいのだが……。
(次ページは「ヴィリニュス市内観光」編です。) |
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