(クロアチア編)
旅のコース

首都ザグレブへ
リュブリャナのレストランで昼食を済ませると、バスは一路西へ向かってクロアチアの首都ザグレブを目指す。美しい草原の中に点在する小さな村の風景を眺めながら整備されたハイウェーを快適に突っ走る。

草原の中に小さな村が・・・

ここにも村が・・・

広大な農園が広がる

よく整備されたハイウェー
国境通過
出発から1時間ちょっと走ると、クロアチアの国境に到着する。ここでスロベニアの出国とクロアチアの入国手続きが必要になる。スロベニアの国境検問所に到着すると、みんな下車して出国のスタンプを押してもらう。小さな小屋の中に係官が座っており、各自パスポートを提示してスタンプを押してもらう。これでスロベニアともお別れだ。それにしても、もう少しましな事務所の建物を使ったらどうなのだろう? ここで事務所の建物に入り、そこの郵便局でクロアチア通貨クーナに両替を済ませる。これで入国準備OKだ。

国境検問所を通過中
バスに戻って再出発。ここから少し移動して、今度はクロアチアの検問所に到着。ここでは係官がバスに乗り込んで来て、パスポートにスタンプを押してくれる。乗り降りしないですむので、これはありがたい。これで無事入国を済ませ、クロアチアの風を切りながらハイウェーを走り進む。
クロアチアのこと
正式国名はクロアチア共和国。東ヨーロッパ、バルカン半島に位置する共和国で首都はザグレブ。1991年に旧ユーゴスラヴィアから独立した。西にスロベニア、北にハンガリー、東にボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビアと国境を接し、南はアドリア海に面しており、飛び地のドゥブロヴニクでは東にモンテネグロと接している。国土面積は5万6542平方キロメートル(九州の約1.5倍)、人口は444万人。宗教はカトリック、セルビア正教等で、言語公用語はクロアチア語。
・歴史
もともとイリュリア人が住んでいたクロアチア地域は、紀元前229年にローマ帝国の属領となる。西暦285年にディオクレティアヌス帝王がスプリット(
Split) に建てた要塞は、東欧に現存するローマ遺跡としては最大規模。5世紀に西ローマ帝国が滅亡し、625年ごろに現在のポーランドに当たる地域からスラブ系部族がクロアチアへ移住した。16世紀になると、バルカン半島に領土を拡張するオスマントルコ帝国から身を守るため、北部クロアチアはオーストリア・ハプスブルク家に擁護を求めたが、その後ハプスブルク家の統治は1918年まで続く。
第一次世界大戦でオーストリア・ハンガリー帝国が敗北すると、クロアチアはセルビア・クロアチア・スロベニア王国の一部となる。この国は、1929年にユーゴスラビアと改名する。共産主義者のチトーが政権に就いた戦後のユーゴスラビアで、クロアチアは一定の自治権を与えられた共和国の1つとなる。その後、1991年にユーゴスラビアより独立宣言、翌92年には国連加盟を果たしている。現在、2010年のEU加盟に向け手続き進行中である。
・軍事力
兵役義務は6ヶ月(民間役務を選択した場合は10ヶ月)。国防組織は陸軍2万1千人、海軍4千人、空軍8千人の総兵力3万3千人を基幹に、予備役3万2千人を有するほか、警察と海上保安から成る準軍組織により編成される。
・経済
GDP(国内総生産、06年)は42,909百万米ドル。失業率は11.8%(06年)。
・貿易
日本→クロアチア:41.9億円、品目は自動車、電気機器、二輪車(06年)
クロアチア→日本:120億円、品目はマグロ、ワイン、繊維。
首都ザグレブのこと クロアチアの首都ザグレブは緑に囲まれた美しい古都で人口973万人(05年)。パンノニア盆地南西部の地理的に恵まれた場所にあり、中央ヨーロッパとアドリア海を繋ぐ優れた交通の要衝となっている。交通上の立地に恵まれて産業が集中し、経済の主導的な位置を占めている。新石器時代以来、この地域には人間が居住していたらしく、14〜15世紀にかけて2つの集落が存在し、それが17世紀初頭には合併して集落ザグレブとなった。
市内は旧市街と新市街に別れ、旧市街には大聖堂、サン・マルコ教会などがあり、またゴシック様式とバロック様式の建物が多く、中世風の町並みがよく残っている。ハプスブルクの面影を残す壮麗な建物が並び、その中をカラフルなトラムが走り、オープンカフェで人々がのんびりとくつろぐ。長い歴史と伝統を大切にし、自然体で今を生きる魅力あふれる街でもある。
ザグレブ市内観光
スロベニアの首都リュブリャナを出発して、およそ3時間足らずの走行で午後4時ザグレブ市内に到着。ここでも現地ガイドを迎え、これから徒歩による観光が始まる。
国立劇場
車窓から最初に目に飛び込んできたのは、数本の列柱とアーチ形の窓、それに2つの低い塔を載せたやや濃いベージュ色のどっしりとした建物である。これが1895年に建てられたクロアチア国立劇場で、よく手入れされた美しい庭園が周囲を囲んでいる。エレガントな内装だそうで、ほぼ毎日公演が行われているという。この周辺には美術工芸博物館やミラマ博物館、ザグレブ大学など、文化的な建物が並ぶエリアとなっている。残念ながら、ここは車窓からの見物だけで内部には入らずである。

どっしりとして重厚な国立劇場

素敵な公園が見える

きれいな花で飾られたロータリー
聖母被昇天大聖堂
バスを乗り捨てて向かった先は、この街のシンボル、聖母被昇天大聖堂(聖母マリアと聖ステファンを祀っている)である。この街の中心・共和国広場の東端コーナーからカプトルの丘に続くゆるい坂道を上りあがると、目の前に壮大な大聖堂が聳え立つのが見える。2本の高い尖塔(高さは左が104m、右側が105m)をもつこの大寺院はネオ・ゴシック様式の建物で、13世紀以降モンゴルの侵略、大火災、19世紀の大地震によって損壊したが、20世紀初頭に現在の様式で再建されている。

聖母被昇天大聖堂。そびえる2本の塔は100mを超える。
大聖堂前の広場には、天使の像に護られた聖母像が黄金に輝きながら聳える塔上に立っており、それがひときわ目を引いている。大聖堂と向き合って見守るかのような神々しい姿がとても印象的である。

大聖堂を見守る黄金の聖母像
聖堂内に入ると、さすがにその天井は抜けるように高く、思わずその広い空間に天を仰いでしまう。どっしりとした高い柱、ゆるやかなアーチ型の天井が造り出す広い空間には大シャンデリアが垂れ下がり、奥には中央祭壇が置かれ、両側には長椅子が整然と並んて荘厳な雰囲気を醸し出している。また、長く伸びた窓の絵模様入りのステンドグラスが光に映えて、堂内に神聖な雰囲気をただよわせている。

高い天井、長い柱、大シャンデリアが輝く聖堂内部。

長〜い窓を彩るステンドグラス

見事な絵模様入りのステンドグラス

壁面に掲げられた宗教画
中央祭壇の奥には第二次大戦中のセルビア人に対する強制改宗や大量虐殺の罪で訴追され、クロアチア独立後に名誉回復されたザグレブ大司教ステピナッツの人形像が安置され、参詣者の祈る姿が見られる。
(ザグレブ市内の航空写真:上下左右に移動して見られます)
右上手が「聖母被昇天大聖堂」、左下手の長方形が「イェラチッチ広場」
石の門
大聖堂を後にすると、モダンな建物とカフェテラスが並ぶ路地を通り抜けたり、中世の香りがただよう家並みを抜け、長い石畳の坂を上ってグラデッツの丘に向かう。

建物の上ににょっきりと突き出た教会の尖塔

路地にはカフェテラスがイスを並べる

古い家並みの路地を抜けて行く

長い石畳の坂道
赤い花に囲まれた騎士像(竜を退治した英雄で竜を踏みつけている)を見ながら曲がって上ると、その先に「石の門」が見えてくる。
美しい花壇に囲まれた騎士像

これが「石の門」。左手奥に奇跡のイコンが安置されている。
これは中世時代にグラデッツ地区を囲んでいた城壁門の一つで現存する唯一の門だそうだ。当時、木製だった城門は焼失したため、18世紀後半に石造りに替えられたという。その火災の時に唯一奇跡的に焼け残ったのが聖母子のイコン画(聖像)で、「奇跡のイコン」と呼ばれているそうだ。それ以後もこの小さな礼拝堂に安置され、敬虔な信徒たちの信仰の的になっている。
そのイコン画は残念ながら鉄格子の奥に安置されてあり、直に見ることができない。ということで、その隙間からの撮影にならざるを得なかった。

これが奇跡のイコン。金網越しに撮影。
聖マルコ教会
石の門を通り抜けてしばらく進むと、白亜の尖塔がそびえるカラフルなモザイク屋根が見えてくる。これが聖マルコ教会で、13世紀に建てられたゴシック様式の教会。その屋根は2つの紋章をカラフルなタイルで描いた屋根瓦が印象的である。左側の紋章は、クロアチア王国・ダルマチア地方・スロヴォニア地方の3つの紋章を組み合わせたもの、右側はザグレブ市の紋章だという。この鮮やかな瓦は19世紀にハンガリーのジョルナイ工房のセラミックで作られたという。

カラフルな屋根の聖マルコ教会
ザグレブの街にはカプトルとグラデッツの2つの丘があるが、その昔、この2つの地区は相対峙する敵対関係にあったそうだが、今ではカプトルの丘に聖母被昇天大聖堂が、グラデッツの丘には聖マルコ教会が、それぞれの丘のシンボル的存在として観光名所となっている。
共和国広場(イェラチッチ広場)
聖マルコ教会は外見だけの見物で教会内部には入らずである。ここから移動して市街が見下ろせるビューポイントに出る。左右の森に視界をさえぎられて180度の展望はできないが、旧市街の特有の赤屋根の風景や新市街のビル群の様子が眺望できる。 |
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