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              NO.2




3.アブ・シンベル・・・・ エジプト最南の大岩窟神殿

三日目。眠い目をこすりながら3時に起床。昨夜は早く寝たので、なんとか睡眠が回復。楽しむためとはいえ、なんという早起きだ。こんな早朝なのに、朝食が用意されている。コックさんには気の毒だ。起き抜けの早朝とあって、食も進まない。とにかく胃袋を満たし、空港へ向けて出発だ。今日は、楽しみにしているアブ・シンベル神殿の観光である。
 

早朝6時に空港を飛び立った機は、真南に向かって南下し、いったんアスワン空港へ着陸。そこで乗客の乗り降りがあり、再び飛行してアブ・シンベル空港へ向かう。アブ・シンベルに到着したのは8時過ぎである。ここは北回帰線を越え、ス−ダンとの国境まであとわずかというエジプト最南の地である。
 

空港には無料のシャトルバスが待機しており、飛行機の乗客すべてが、それぞれのバスに分乗して移動する。小人数のグル−プだと、他の乗客と混乗となる。バスは砂漠地帯を走りながら約10分で神殿入口に到着。そこで入場チケットを購入し、フェンスで囲われた神殿区域内に入場する。かなりの暑さである。そこから茶褐色の地面が広がる中を湖岸沿いに5分ほど歩くと、目指すアブ・シンベル神殿が現れる。
 

なんという巨石、なんという巨像だろう。巨大な岩石をくり貫いて造られた4体の巨像がナセル湖を眺めながらドカ−ンと地響きをたてるように目の前に鎮座している。その押し迫るような迫力は、見る者をして心底圧倒せずにはおかないだろう。いま、感動の対面である。この4体の巨像は高さが20m、いずれもラムセス2世像で、その威厳漂う巨石群像は彼の強大な権力をいかにも誇示しているようだ。これが今から約3300年前にラムセス2世が建設した大岩窟神殿なのである。 



 アブ・シンベル大神殿全景




この神殿はアスワンハイダム建設時に水没の危機にさらされ、ユネスコが国際キャンペ−ンにより救済した。移設案には神殿をそのままの位置に残し、その周りにダムを築いて水没を防ぐという案もあったそうだが、これでは最深部にある至聖所の座像に太陽光が差し込まないという理由から廃案となったそうだ。結局、大神殿・小神殿ともいくつかのブロックに切断し、元の位置より60m上にそっくり移動するという方法が採用された。その工事は68年〜72年にかけて行われた。

 




 ラムセス2世像    















 同ラムセス2世像 










4体の巨像の真ん中部分に神殿への入口が設けられている。そこを中に入ると大列柱室で、高さ10mのラムセス2世の立像が両側に4体ずつ計8体が並んでいて壮観である。








大列柱室
両側にラムセス2世像が立つ



















浮き彫りで描かれた美しいレリーフ










その両側の壁面には戦闘場面を描いたレリ−フなど、見事なまでの壁画がいっぱいに描かれている。


 






 壁面の金色に彩られたレリーフ














そこを通り抜けて一番奥に入ると、そこには至聖所があり、4体の神の座像が並んでいる。左端の像だけ、惜しいことに首が欠けている。ここは入口からかなり奥まった所にある。






一番奥にある至聖所
4体の坐像が並ぶ










この至聖所の位置は、太陽の周期を計算に入れて見事に造られている。つまり2月22日と10月22日の年2回、この奥まった至聖所まで朝日が差し込み、この4体の神々のうち左端の像を除いてその隣の像より左から順に照らすように仕組まれているのだ。恐るべき仕掛けである。驚嘆すべき先人の知恵ではある。
 

大神殿を出て、次は少し離れた小神殿へと向かう。ここはラムセス2世が愛する王妃ネフェルタリのために建造した小さな岩窟神殿である。岩壁の正面にはラムセス2世の立像4体とネフェルタリの立像2体が交互に立ち並び、その足元には子供の像が刻まれている。大神殿を見た後とあってか、やや見劣りはするが、王妃の立像の優しいラインや愛らしさをたたえた子供の像が往時の王室一家をしのばせている。






  小神殿の全景










中央の入口から中には入ると、そこは列柱室で柱にはいっぱいのレリ−フが描かれ、壁には王妃の彩色レリ−フなどが彫られている。



 大神殿と小神殿の全景




ここで、大神殿と小神殿が並んだ全景を写真に撮っておこう。このすぐ前面には満々と水をたたえて陽光にきらめくナセル湖が広がっている。これが造られるために2つの神殿がここに移転されたわけだ。



 神殿の前に広がるナセル湖




一通り観光が終わると、大神殿の右側横手にある入口からド−ム内に入って行く。神殿はいくつかのブロックに切られてこの場所に移転され、それを組み合わせたあと、その全体を覆うように巨大なコンクリ−トのド−ムが造られている。神殿の表からは見分けつかないが、その巨像が彫られた岩窟の裏側は巨大なド−ムの空洞になっていて、当時の大工事の跡がうかがえる。

 




大神殿を支えるドーム










みんなは、そのド−ムの壁面に沿って造られたプロムナ−ドを伝って薄暗い中を通り抜け、裏手の出口から外へ出ることになっている。出たところは、最初に入場チケットを買って入場した地点の目の前である。この背面から眺めると、神殿を覆っている巨大なド−ムの上に盛土をして山状にしている様子である。最初入場した場所から、この巨大な盛土の側面をナセル湖のほうに迂回しながら歩いて行き、大神殿の表に回ったわけなのだ。


4.アスワン・・・・ 巨大ダムのアスワンハイダム・未完のオベリスク・帆
           船フル−カ                

フェンスの外に出ると、そこから再びバスに乗って空港へ移動。今度はアブ・シンベルから飛行機で北上し、約40分でアスワンに到着。ここアスワンの町は巨大ダムのアスワンハイダムや古代の石切り場などの観光ポイントがあり、またフル−カと呼ばれるのどかな帆船遊びができたり、リゾ−トも楽しめる格好の地域でもある。
 

アスワンハイダム
待ち受けていたバスに乗って早速アスワンハイダムへ直行だ。ここは町の郊外にある幅3600m、高さ111mの巨大ダムである。72年にドイツと旧ソ連の協力で完成したもので、ここから上流には全長500kmにおよぶ人造湖のナセル湖が続いている。この面積は琵琶湖の7.5倍だそうだ。そのスケ−ルの大きさには圧倒されるばかりで、さすがは日本の何倍もの国土面積を誇る国だけのものはあるなあと感心させられる。
 

この巨大ダムをせき止めている長く続いた堰堤の中心部分でバスはストップ。







ダムをせき止める長い堰堤









そこでダムの上流側(ナセル湖)と下流側(放流口)を眺めながら、写真に収める。豊富できれいなナイルの水が、高さ111mのダムいっぱいに広がってたたえられている。ぎらぎらと暑い太陽が照り返している水面の向こう岸は、遙か彼方に消えてしまって見ることはできない。この広大な砂漠の国に、これほど豊富な水量が得られるとは不思議である。これはまさに国の宝、エジプトはナイルの賜物とはよくいったものだ。


 アスワンハイダムには水が満々・これはナセル湖




 アスワンハイダムの放流口




未完のオベリスク
ここから次は北へ移動して、古代の石切り場へと向かう。ここでは切りかけの「未完のオベリスク」が見られるのだ。石切り場の近くでバスを下車し、ほこりっぽい瓦礫と岩石の剥き出した小高い丘に上っていく。なんの変哲もないただの砕石場のような感じの場所だが、ここでも入場料を取られるのだ。それもそのはず、ここは数千年もの前の石切り場で、しかもそこには切りそこなった未完成のオベリスク巨石が横たわったているのだから……。

 





未完のオベリスク(タテのひび割れが見える)






















石きり場・正面の直線に伸びた石が未完のオベリスク








石ころだらけの足元の悪い坂道をしばらく上ると、前方の斜面一帯に岩石帯が現れる。下から見上げると、そこは荒れ果てたただの岩石面なのだが、さらに上りあがって近づいてみると、その一角にデカイ未完のオベリスクが横たわっている。オベリスクは古代エジプトで神殿などの前に建てられる四角で先のとがった高い石柱のことで、その時代の王の権力の象徴ともなっている。ここに横たわる未完のオベリスクは長さが約40mもあり、もしこれが失敗なく建立されていたら、最長のオベリスクとなって天空にそびえたことだろう。
 

それが残念なことに、先端部分の近くにかなりのひび割れができてしまっているのだ。このため、その後の作業をあきらめてしまったらしい。この時代の石切りの技術はこうである。まず石に切り込みをつけ、そこに木のくさびを打ち込んで水で濡らし、それを膨張させる。すると自然に石が割れて凸凹もない滑らかな石が切れるそうだ。それをナイル川まで運び、船で運び出すのである。下流のルクソ−ルにあるカルナック神殿のオベリスクなどは、こうして運ばれたものであろう。石工たちのノミの跡が数千年の時を経て、今でも生々しく残っている。  


ホテルへ
ここで昼前の観光を終わり、やっと昼食のためホテルへ移動となる。もう2時を回っているので、お腹もかなり空いている。遅い昼食を終えると、今夜の宿泊ホテルへ移動である。そこはナイル川岸に建つ瀟洒なホテルで、割り当てられた部屋はリバ−・ビュ−の素敵なル−ムである。
 

窓から眺める風景は、まるでハワイにでも来たような錯覚におちいる素敵なリゾ−ト地帯の景色である。周辺一帯には高く伸びたヤシの木が青々と繁り、南国にふさわしいブ−ゲンビリアの赤い花が咲き乱れて疲れた視神経を柔らかく癒してくれる。すぐ目の前にはナイルのゆるやかな流れが広がり、その川面を白い帆をかかげたフル−カがのどかに水面を切りながら遊んでいる。ここに来る道中には、夾竹桃の赤い花が暑い夏の日差しを浴びながら道路サイドを埋め尽くしていた。プ−ルまで備えたこのホテルは、なんとも居心地満点である。この一帯は、まるで砂漠の中のオアシスといった感じである。夕方のフル−カ遊びまで、しばしホテルで休息だ。その間にシャワ−でも浴びておこう。
 


 ホテルの窓から眺めたナイル川の風景・帆かけの白いフルーカが浮かぶ




ファルーカ
陽もだいぶ沈みかけた4時過ぎ、中型のフル−カに乗ってナイル川セ−リングに出かける。ホテルからすぐ下の川岸まで下りていくと、ヌビア人の船頭のおやじさんと青年の2人が乗ったフル−カが待っている。それに乗って船は静かに岸を離れていく。ナイルの流れは、どこで見てもゆるやかで、それは流れているのか淀んでいるのか分からないほど静かである。アフリカの大地を流れる世界一長いこの川は、その傾斜落差が海抜と80mほどの差しかないからだ。 


帆船に乗るのは初めてである。風のない日は立ち往生するそうだが、今夕は適度なほどよい風が吹いていて、静かなセ−リングを楽しませてくれる。青年がマストに帆を張ると、静かに風をはらんでス−ッと音もなく川面を滑り出す。どちらが川上か川下か判別できないゆるやかな流れの中を、帆船フル−カは帆に風をはらませながらジグザグに、そして音もなく進んで行く。ゆれもエンジンの音もない静かなセ−リングである。それはそれはのどかなものだ。みんな満足げな顔つきで、ナイル・セ−リングを楽しんでいる。

 




川岸に建つ宿泊ホテル
(右の白い建物)









しばらくすると、船頭がタンバリン風の太鼓を持ち出して打ち鳴らしながら、フォ−クソングを歌い始める。この地域に住むヌビア民族の歌なのだろう。独特のリズムとメロディ−が、ナイルの流れに乗って響きわたる。その素朴な歌声に耳を傾け、音調に酔いしれながら、うっとりとフル−カに身をまかせる。すると突然、添乗員の彼女が立ち上がり、リズムに合わせて踊り出す。その腰の振り具合や手のこなしなど、ちょっとしたプロ並みである。みんなで手拍子をとり、その大げさなしぐさや腰振りに大笑いしながら楽しんでいる。なかなかノリのいい女性で、みんなを楽しませてくれる。やんやの喝采を浴びて、彼女のにわかダンスは幕となる。
 

船は川州になっている大きな緑の島を一周することになっている。ここの夕暮れは早い。夕方5時前には、日が落ちて薄暗くなってしまう。岸辺に建つホテルのあかりが川面に映え、アスワンの夕闇が迫ってくる。その中を手慣れた船頭が舵を取り、追い風を帆に受けながら船はスピ−ドを増していく。狭い水路を通り抜けると、間もなく終着点である。今夜は、この川岸の上に建つレストランでの夕食である。船はその真下に着岸し、フル−カ・セ−リングは終わりとなる。1時間少々のセ−リングである。辺りはすっかり暗くなっている。


夕 食
レストランの夕食は肉ダンゴ、カレ−風のとろみをかけて食べるライス、それにこの地方の郷土料理などが振る舞われる。昨夜は何が当たったのか下痢を起こしたので、今夜はビ−ルも我慢しておこう。どうも、昨夕食べたシンの残ったライスではないのかと独りで詮索する。今夜の食事も、ほどほどに抑えておこう。8時前にはホテルに戻り、リバ−・ビュ−の窓から暗く沈んだナイルの夜景をもう一度眺めてから床に就く。時計の針は8時。今夜こそはゆっくり寝れそうだ。



(次ページは「ルクソール観光編」です。)