no.2




第二日目。今朝も明け方から相変わらずの激しい下痢。窓外を覗くと、オヤ? 道路が濡れているぞ。雨かなとよく見ると、空は晴れているし、歩道は濡れていない。どうも早朝から散水車が水を撒いたらしい。八時ごろ朝食に出向き、キ−カ−ドを係に示す。バイキング料理が見える部屋の方へ入ろうとすると、そこは違うので、こちらへどうぞと指示される。部屋に入ると、なんと見劣りのする料理だろう。黒パンと白パンのスライスにバタ−、ジャム、ハム、ソ−セ−ジ、そしてコ−ヒ−、紅茶にオレンジのみである。玉子料理さえない。隣室の方は盛り沢山の料理が見えるのだが、お客を差別扱いしているのだ。どっちみち、いろいろ食べられないのだから構わないのだが、あまり感じが良くない。
 

お腹のことを考え、白パン一切れにバタ−とミルク、紅茶を添えて簡単に済ませる。向かいの席に若い外国人男性がが座っているので話しかけると、ポ−ランドの旅行代理店の者で仕事で来たのだという。部屋へ戻り、帰りのフライトのリコンファ−ムをしようと電話してみるが、どうしても通じない。日本の旅行社からもらった連絡先の電話番号が変わっているらしい。そこで、たまたまホテル備え付けのモスクワ案内パンフレットにアエロフロ−トの広告が載っているの見つけたので、そこへ電話してみる。今度は係が出たのでリコンファ−ムを頼むと、あなたの搭乗地がヘルシンキになっているのでモスクワではできませんという。つまり、搭乗地でしかできないというのだ。他の航空会社の場合は、コンピュ−タ−だからどこでやってもOKなのだが、このロシア系の会社はそれができないのだ。
 

出掛けるまでテレビを見て過ごす。この地のテレビは、日本と違って人間の死体でもモロに隠さず堂々と放映している。ちょっと驚きである。お腹の調整を済ませ、十一時出発のクレムリン・ツア−に出掛ける。集合場所は昨日と同じインツ−リスト本社である。終了するまで、どうかお腹がもちますように。大きいバッグは持ち込み禁止だ。 


クレムリン・ツアー
クレムリンは、ここから道路を隔てた向こう側に見えている所なので、参加者十二人の一行は女性ガイドに引率されてぞろぞろと歩きながら出掛ける。モスクワ最大の観光名所であるクレムリンは、その高さ二〇mはあろうかと思われる赤レンガ造りの高い城壁で大体三角形の形に囲まれている。その全長二、二三五mに及ぶ強大な城壁には、高さや大きさの異なる二〇の塔が間隔をおいて配置されている。このうちの二つの塔だけが一般観光客の出入口になっている。われわれはその一つ、トロイツカヤ塔から入場する。料金は知らないが、有料である。
 

その歴史をたどれば、古代にユ−リ−・ドルゴル−キ−公が村だったモスクワを城壁や堀で取り囲んだところからクレムリンの歴史は始まる。当時の城壁は木造で、面積も現在の十分の一以下だった。十三世紀後半にはアレクサンドル・ネフスキ−公の息子が常駐し、大公邸や倉庫、納屋、馬小屋などの建物がたくさんできた。十五世紀になって今の城壁や教会が建設され、十七世紀にはイワン大帝の下、クレムリンの黄金時代を迎える。


ところが十八世紀にピョ−トル一世が首都をサンクト・ペテルブルクに移してからクレムリンの没落が始まった。一八一二年にはナポレオンが占拠したが、全市を襲った大火のために短期間に終わった。しかし、その時クレムリンも焼失してしまった。その後、大クレムリン宮殿が建設され、クレムリンは復活した。
 

ソ連崩壊以前は、ここクレムリンとアメリカのホワイトハウスに集まるひと握りの人たちの手によって世界の政治が動かされていた。ここにはレ−ニンもスタ−リンもフルシチョフも、そしてゴルバチョフも書記長として君臨していた。クレムリンがソ連という超大国の頂点であったと同時に、ロシア文化の最高の粋が集まった場所というのが、そのもう一つの顔である。
 

クレムリンはもともと城塞を意味するロシア語だが、その長い歴史の中で徐々に拡大し、皇帝ツア−のお城として繁栄してきた。巨大な権力を持つツア−は、クレムリン内にさまざまな建築物や宝を残したのである。私たちが観光するのは、このロシア正教のすぐれた遺産の数々なのだ。
 

入口のトロイツカヤ塔を通り抜けて場内に入ると、前方には広大な石畳の通りが広がっており、その遠くにクレムリン劇場の建物が見える。すぐ右手には三〇年前に建設されたという銀色に輝く一番新しい建物、大会宮殿が見える。以前は、ソ連共産党大会などに用いられた場所だという。








クレムリンの入口になっているトロイツカヤ塔




















クレムリンの内部に入ると広大な石畳の通りが広がる








そこを通り過ぎて中へ進むと、右手に“大砲の王様”が目に留まる。この巨砲は十六世紀末ンドレイ・チョホフによって鋳造された砲で口径八九〇mm、重量四〇tもの代物である。幸か不幸か、まだ一度も発砲されたことがないという。 






重さ40トンの”大砲の王様”









さらに奥へ進むと、右手には十五世紀に完成したというウスペンスキ−寺院が黄金のド−ムを輝かせて建っている。ここはロシア帝国の国教寺院とされ、ツア−がここで載冠式に臨んだところである。寺院の壁と屋根は、その数一、〇〇〇人にも及ぶといわれる画家たちによって描き残されたイコン(聖マリア像)の画で飾られている。
 





黄金ドームが美しいウスペンスキー寺院









寺院を通り過ぎて進むと、その先に“鐘の王様”がデ−ンと鎮座している。十八世紀に作られたもので、高さ六m,重さなんと二〇〇tもあるそうだ。当時の鋳造技術の粋を集めて作成されたが、未完成のままに終わった。実はその鋳造中に火災が発生し、誰かが火を消そうと思わず水をかけたために鐘にひびが入り、一部分が欠け落ちてしまったという。そのかけらだけで、十一tもある。最近コンピュ−タを用いて鐘の音を再現してみたそうだが、あまりよい音色ではなかったそうだ。

 






重さ200トンもある”鐘の王様”















その先をぐるっと右へ回ると、ソボルナヤ広場に出る。クレムリン内で一番広い広場で、帝政時代には公式の行事などが催された。この広場を取り囲むように六つの歴史的な建物が建っている。先程のウスペンスキ−寺院をはじめ、十二使徒寺院、アルハンゲリスキ−寺院、ブラガヴェシェンスキ−寺院、グラノヴィ−タリヤ宮殿、イワン大帝の鐘楼などがそれである。広場に立ってぐるっと見回すと、どれもこれも黄金のネギ坊主ド−ムを輝かせて、まばゆいばかりだ。
 

その中で、幾つもの黄金ド−ムを見せびらかすように、ひときわ燦然と輝かせているのがブラガヴェシェンスキ−寺院だ。十五世紀に皇帝の個人礼拝寺院として建てられもので、十六世紀中頃火災に見舞われたが、イワン雷帝によって修復された。

 




金色に輝くブラガヴェシェンスキー寺院









その隣にそびえるノッポの塔がイワン大帝の鐘楼だ。十六世紀に完成したもので、ナポレオンがモスクワから敗退する際にこの爆破を命じたが、びくともせずに残ったいわくつきのものである。高さ八十一mで、かつてモスクワでは一番高い塔だったという。モスクワを囲む修道院の監視塔から送られてくる信号によって敵の襲来が察知されると、この鐘楼の鐘が鳴らされたという。
 







ナポレオンでも壊せなかったイワン大帝の鐘楼















その隣に位置するのはアルハンゲリスキ−寺院だ。十六世紀初めにかけて建てられたもので、歴代のツア−や貴族の遺体安置所となっており、イワン雷帝をはじめ四十八もの棺が堂内に並べられている。






アルハンゲリスキー寺院










今、この寺院の入口付近に大勢の人だかりができている。ガイドさんがその事情を聞いてみると、だれか偉い人が中から出てくるところだという。「こんないい機会はないから待ちましょう。」とガイドがいうので、一行はその前で待つことにする。玄関前には黒塗りのリムジンが横づけされ、主人公の登場を待っている。
 

待つこと十分近く、中から出てきたその人物は、黒のガウン姿に十字架を頂く純白の帽子を冠っている。恰幅のよい威厳に満ちた風貌を現すと、周囲からざわめきの声があがる。玄関先でしばらく立ち止まりながら、周りの人たちに声をかけている。なんとこの御方は、ロシア正教会の総主教アレクシ−二世その人なのだ。ロシアではロ−マ法王並みの偉い御方なのだ。身近には滅多と見られないそうだが、偶然、われわれ外国人がその拝顔の栄に浴したというわけだ。

 




ロシア正教会総主教アレクシー2世(中央の白い帽子の人)








これらの寺院の内部を見る間はなく、先を急ぐ。広場を抜けて右の方へ曲がっていくと、幾つものア−チ型にくり貫かれた窓が並んだ優雅で長い建物が出現する。これが大クレムリン宮殿である。ここは歴代皇帝の御所になっていて、一八一二年にクレムリンが焼失した後、十九世紀に同じ場所に建設されたものである。七〇〇にも及ぶ部屋には二万本のロ−ソクが灯され、十九世紀の家具、シャンデリア、じゅうたん、楽器、絵画、彫刻など傑作がふんだんに取り入れられ、パリのル−ブル宮殿に劣らぬ豪華さを誇っている。現在、この宮殿は外国政府要人、国家元首などの会見に用いられ、一般には公開されていない。
 





大クレムリン宮殿(右側の長い建物)









この長く続く宮殿の前を通り過ぎてゆるやかな坂を下りていくと、その先に武器庫へ通じる入口がある。狭い入口を通って奥に入ると、ちょっとした売店があり、衣服類を預けるクロ−クもある。ガイドさんが「ここで衣服をチェックしてください。」というので、いまさら何を調べろというのだろうと怪訝な顔をしていると、隣のアメリカ人のオジサンが「上着をクロ−クに預けるのですよ。」と教えてくれる。なぜ着たままではいけないのか、その理由は分からないまま、奥の展示室へ進む。
 

この武器庫は、十六世紀に鎧や兵器を製作・保管する倉庫として建てられたもので、十八世紀初めにピヨ−トル一世の勅令によって博物館となった。そこには溜め息が出るような見事な宝物が収められている。ここに入場するには予約が必要で、その日の思いつきでは入れない。クレムリン・ツア−の後半はこの武器庫の宝物の見学で、たっぷり時間をかけて説明を受ける。


七つの部屋に分かれた展示室には、ロシアの工芸美術品、王冠類のほか、何世紀にもわたって集められた外国の支配者などからの贈物、ロシア帝国が得た戦利品などが展示されている。ロシアのツア−が代々冠った有名な王冠やロシア最初の女帝エカテリ−ナ一世の王冠、ダイヤをちりばめた玉座、エカテリ−ナ二世の長く裾を引くきらびやかな衣装、12〜19世紀の世界各国の金銀細工など時価にしていくらになるのか計算もできないくらいの貴重な財宝が並んでいる。その他、金色に輝く華麗な宮廷馬車や金属製の重そうな鎧・甲に鉄砲など当時の戦闘具も展示されている。これらの展示物は、写真撮影禁止になっているのが残念である。
 

その主だったものについて、ガイドが一つひとつ丁寧な説明を加えていくので時間が掛かってしようがない。お腹の調子が心配で、早く終わってくれることを願うばかり。やっと見学も終わり、クロ−クで上着を取り戻し、そそくさと一足先に退散する。一行はそこで一服しながら飲物を飲んだり、みやげ品を買ったりしてから帰るらしい。
 

もと来たル−トを引き返し、出口へと向かう。腹調がよければ、いろいろな寺院の内部をゆっくり見学したかったのだが、それができず残念だ。クレムリン内での見学ル−トは決められており、そこを外れて勝手に進んで行くと「ピピ−ッ」と警備兵のホイッスルが鳴って注意される。一定間隔で警備兵が立っており、常時監視しているのだ。広いので、出口まで相当の距離がある。


再び出入口のトロイツカヤ塔をくぐり抜け、ホテルへ直行する。ここからも結構遠い。道路を横切っていると、ガチャンと音がするので見てみると、乗用車同士が衝突している。追突した後の車はボンネットがめくり上がっている。降りてきた二人のドライバ−は、どうしてくれるんだといわんばかりの様子で怒鳴り合っている。どんな解決方をするのか見届けたかったが、そんな余裕はない。無事ホテルに到着し、胸を撫で下ろす。午後二時、出発から三時間経っている。
 

ショッピング
買い置きのパンとジュ−スで遅めの昼食を済ませ、買物に出かける。お目当ては愛娘のロシアン帽子である。みやげ用の安いものは四〜五千円程度で売っているのだが、案内地図で見つけた帽子店に行ってみよう。ここトヴェルスカヤ通りのもう一つ隣の通りである。大通りから横道へ入ると、道路工事などで道は汚れている。目指す通りに入って進むと、すぐに店は見付かる。ガラス窓から覗くと、帽子が並んでいる。二重になった扉を押し開け、「ズドラ−ストヴィチェ(こんにちは)」といいながら中に入ると、そこは上品な店員のいる高級帽子専門店である。上物のいかにもふかふかと手触りのよさそうな帽子類が並んでいる。男性用、女性用と、とりどりの帽子が揃っている。しかし、どれもが高級品ばかりのようだ。
 

上品な女店員が応対してくれるのだが、彼女は英語が話せない。女性ものを物色していると、それを察して二、三点取り出して見せてくれる。その中に、とてもよく似合いそうな上品でしゃれた型の帽子がある。これならきっと気に入るに違いないと思い、それを買おうかと値札を見てみる。七十五万ル−ブル(一五、〇〇〇円)とある。最初の七の数字が〆のように独特の形で書いてあるので、これを頭に付ける何かの記号と勘違いし、「五万?! こんなに安いの?」と半信半疑で五万ル−ブル札を出して「OK?」と尋ねる。すると、あわてて「ニエ−ト、ニエ−ト(英語のNO)」といいながら数字を改めて書いてみせる。ロシアの物価が安いからとはいっても、これがそんなに安いはずはないと思っていたのだが……とんだ恥をかいたものだ。
 

そこで、クレジットカ−ドか米ドルで支払えるか、などと尋ねてみるが英語が通じない。とうとう奥から英語のできる店員を呼んできて応対させる。彼女がいうには、これはミンクの毛皮で素敵な帽子だというので、三〇歳前後の女性にも冠れるかと尋ねると、「ノ−プロブレム」といいながら自分で冠ってみせる。そのお洒落な雰囲気に魅かれて、これなら文句無しと買うことにする。


クレジットカ−ドも米ドルでも支払はだめだというので、ここで両替せざるを得ない。近くの両替所を尋ねると、道路向かいにあるというので、早速そこを訪ねる。だが、生憎と一時閉店中になっている。再び店に戻り、少し離れた別の両替所を聞き出してそこを訪ね、やっと目的を果たす。やれやれ、やっかいなことだ。こうして、お目当てのミンクの帽子を手に入れ、ほっと一安心する。だが、ちょっと嵩張って荷物になるぞ、と懸念しながら持ち帰る。 


その途中、初めて目に留まった露店の果物屋で、バナナとリンゴを二個ずつ買って持ち帰る。たいてい、露店の果物店ならどこにでもあるのだが、このモスクワの中心地ではとんとお目にかからないので困ってしまう。そして、これもやっと見つけたミルクを売っている店で、商品名を告げるのに苦労しながら支払を済ませ、やっと入手する。ところが、展示されていた商品は紙パック入りになっているのに、もらったのはビニ−ル袋入りの小型のものになっている。道理で代金が少し安いと思った。でも、今にも破れそうな袋の扱いに戸惑いながら、あたかも豆腐を扱うかのように気を配りながらそっと持ち帰る。
 

ホテルに戻ると、インツ−リストの窓口に出向き、列車のチケットと次のホテルバ−チャ−を請求する。すると、ホテルバ−チャ−は作成して渡してくれるが、チケットは明日渡すからという。そこで、明日は出発するのだが大丈夫かと念を押すと、横に座っていたうるさ型女性係員が「チケットは出発の日に渡すことになっています。あなたの場合は、夜行列車だから午後六時以降に渡します。」と、叱り付けるような口調でのたまう。これがロシアスタイルの応対なのだろう。
 

今度はフロントに行って明日のホテル半日延長を申し出る。チェックアウトが昼の十二時になっており、お腹の不調とこの弱った体では夜行列車が出発する夜十一時過ぎまで外を徘徊するのは到底無理である。すると、インツ−リストの窓口で申し込んでくれという。こんなことをホテルが直接取り扱わないのも不思議なことである。そこで再びインツ−リストのデスクへ戻り、若いほうの係に明日のホテルの半日延長を願い出る。六十五米ドル(七、六〇〇円)をカ−ドで払って証明をもらい、これを再びホテルフロントに提出する。ほんとに、やっかい千万な話だ。
 

ボリショイ劇場
ボリショイ劇場へ出かける前に夕食を取ろうと、ミルクの袋を開けてコップに移し、一口飲んでみると、ややっ! これはまたまた失敗の巻である。苦手のヨ−グルトなのだ。これまでの旅行で、何度失敗したことだろうか。今度ばかりは信じていたのに! やっとミルクが飲めると喜んだのも束の間、再び飲物を仕入れに外出する。とある最寄りの建物で、人の後に続いて入口から中を覗いてみると、これが食料品店になっている。これまで何の家か分からなかったのだが、灯台下暗しとはこのとだ。


早速、中に入って飲物を物色すると、いろいろな種類の飲物が陳列してある。その中から大き目の箱に入ったオレンジュ−スを買うことにする。これだと何回分もあるから助かる。この店では珍しく直接商品を買うことができるので有難い。持ち帰って蓋を開けコップに注ぐと、それがなんとネクタ−ではないか。オレンジの絵が載っていたので、てっきり普通のジュ−スと思っていたのだが、これまた失敗である。これで辛抱しながら、パンとバナナ、リンゴを食べて夕食とする。
 

食後間もなく襲ってくるお腹の整理を済ませると、いよいよボリショイ劇場へのお出かけだ。七時開演だが、すぐ近くなので半時間前に出かければ十分だ。劇場の方角を目指して歩き始めるが、その位置が定かでないので街角の警官らしき人に尋ねて確認する。教えられた方向へ進んでいると、後方から日本語の話し声が聞こえてくる。見ると当地在住らしい日本人女性二人が歩いている。そこで確認のために再度場所を尋ねてみる。「あの建物の左側を入った所です。」という言葉を信じて行ってみると、そこには見当たらない。時間が迫っているので少し焦りながら、おかしいなあと思い、通りすがりの年配の婦人に、「ブ−ッチェ ダブルィ・グゼ ボリショイ チア−トル?(ちょっとすみません。ボリショイ劇場はどこでしょうか。)と三度尋ねてみる。


すると、なにやらロシア語でまくしたてながら、まったく反対の方角を指差している。それを信じて「スパシ−バ(ありがとう)」と礼をいいながら、逆方向へ歩き出す。教えられたように角を曲がって進んでいくと、今度は確かに劇場の建物が前方に見えてくる。ほっと胸を撫で下ろしながら、どうしてあの日本人は知ったかぶりして、まったくでたらめの方向を教えたのだろうと憤慨する。さも知っているといわんばかりに、即座に指差して教えてくれたのに! それにしても、劇場の建物や前の広場が工事の真っ最中でひっくり返っており、あの華麗な姿が見れないのが残念である。

 




ボリショイ劇場(工事の真っ最中で美しい姿が見られない)








劇場に近づくと、案の定ダフ屋のオバサンたちがチケットを手にしながら周辺をうろついている。それが意外と上品なレディたちなのである。男性のダフ屋さんたちもチケットを何枚も手にちらつかせながらうろついている。入口前の階段付近は、待ち合わせの人たちやダフ屋の人たちで混雑している。人垣を通り抜けて劇場内へ足を踏み入れると、チケットを示して案内を乞う。
 

座席番号が三列目の二番となっているので前の方へ行こうとすると、こちらだといって意外な場所へ案内される。舞台のかぶりつきかと思っていると、そうではないのだ。一階最後方に造られた三段の座席の三列目なのだ。だから一階の一番後ろの席ということになる。その前方場内にはクラシックなイスが整然と並べられている。今風の連続した折り畳み式のシ−トではなく、昔の四本足の旧式イスが一つひとつ並べられているのである。恐らくお尻が痛いのではなかろうか。


われわれの三段座席だけは、今風の折り畳みシ−トでクッションはよい。それにしても、座席番号の付け方がまぎらわしい。チケットを買った折、「いい席ですよ。」と係がいっていたので、なるほどと思っていたのだが、なんだか裏切られた感じがしてならない。それとも、この座席はよい方の座席になっているのだろうか。でも、ここは階段席になっているので、確かに舞台は見やすい席ではあるようだ。
 

席に座って一息ついていると、あちこちでカメラのフラッシュが光る。おや? 劇場内は撮影禁止となっているのに、それが許されるのだろうか。それなら、こちらもついでにとばかりカメラを取りだし、フラッシュをたいて一枚写真を撮る。すると、たちまち係のオバサンがやってきて、「ノ− カメラ!」と叱るような口調で咎めながら、一枚の紙切れを渡して行く。それを見ると、


・事前の許可なしに劇場内部で写真、テレビ、ビデオ、映画などの撮影は禁止。

・コ−ト、バッグ、花、その他の手荷物は会場内に持ち込み禁止。

・三度目のベル以後は会場への入室禁止。

・劇場内での喫煙禁止。

・上演開始及び幕間休憩時において、二度目のベル以後はビュッフェ閉店。

・クロ−クル−ムはご自分の席と同じ階になっています。

・十二歳以下のお子さんは夜の部上演には訪問禁止。五歳以上のお子さんはチケットが必  要です。    


上演中止の場合は、上演以前またはその後十日までにチケットを劇場オフィスへお返しください。また上演変更の場合は、上演開始前までにチケットをご返却下さい。  

上記の規則が守られない場合は、やむを得ず劇場退去となります。


という記載事項がロシア語と英語で書かれている。それを読んで、以後慎みますと心に言い聞かせていると、しばらく経ってもまだ相変わらずあちこちでフラッシュが光っている。そこで、またぞろよからぬ誘惑に打ち負けて、係員の姿が見えないことをいいことに今度はフラッシュなしでもう一枚写真を撮る。一枚だけでは内部の感じがつかめないので、どうしても数枚続きの連続写真が撮りたかったのである。すると、どこからともなく別の係のオバサンが現れ、大声で「ノ− カメラ!」と注意する。周りの視線を一斉に浴びて、恥じ入ること、恥じ入ること。でも、同じ係員でなくてよかった。運が悪ければ退場させられたかも知れないのだ。




 ボリショイ劇場内部・6層になった桟敷席は豪華絢爛




左隣には母娘らしい上品で美しい二人連れが座っている。「英語話せますか?」と尋ねると、だめだという返事。やっと心も落ち着き、開演を待ちながら場内をゆっくりと見回す。三年前に訪れたウィ−ンの国立オペラ劇場と同じ六層になった絢爛たる桟敷席が場内を取り囲んでいる。舞台も広いが、奥行が特に広い。高い天井から吊るされた中世を思わせるゴ−ジャスなシャンデリアが、場内の華麗な雰囲気を演出している。
 

開演間際になって、たった一つだけ空いていた右端の隣席に四〇歳近くの男性が登場する。今度は彼に向かって「英語話せますか?」と尋ねると「イェス」と答えるので、「どちらからおいでですか?」と畳み掛けて問い掛けると、「ワシントン・D・Cです。」という返事。おや、おや、とんだ失礼をいたしました。しばらく彼との会話が続く。政府関係の役人さんとのことで、数人連れで会議にモスクワにやってきたという。


そこで、二年前にワシントンを訪れたこと、奇麗な街で地下鉄の美しさが印象に残っていること、アメリカ経済の好調なこと、ニュ−ヨ−ク株式市場の高値更新が続いて好調なこと、そのうち第二のブラック・マンデ−(以前、大暴落があった日)が訪れるかも知れないことなど、よもやま話を続ける。
 

間もなく三度目のベルが鳴って、いよいよバレ−「ドン・キホ−テ」の開演である。専属オ−ケストラの指揮者が拍手を受けながら登場する。やはり、生演奏のオ−ケストラでないと迫力もム−ドも出ない。昨年、ワルシャワで観た現代バレ−はレコ−ドだったので、もうひとつ気分が出なかたった。


演奏が始まり、いよいよバレリ−ナたちの登場である。プリマドンナの登場に、一段と大きな拍手がわき上がる。美しい。洗練された優雅な身のこなしが、頭のてっぺんから足の爪先まで行き届いている。その軽やかで流れるような動きの優美さに、ただ溜め息が出るばかりだ。ライトに映える純白のコスチュ−ムやとりどりに付け替えられるカラフルなコスチュ−ムに、次第に幽玄の世界へと誘い込まれていく。これが世界に名だたるボリショイ・バレ−なのだ。
 

出演者は総勢一〇〇名近くにも上るだろうか。あの広い舞台で大勢のバレリ−ナたちが踊り回る様は、なかなか壮観で圧倒されるようだ。この席は最後列だが、床が階段式に高くなっており、舞台の全体が俯瞰できるので動きが手にとるようにわかる。でも、顔がアップで見られないのが残念である。やはり、オペラグラスを借りるべきだったか。意外に感じられるのは、踊り子たちが小柄なことである。舞台が広いせいで、そう見えるのだろうか。日本人と変わらない背丈に見える。
 

第三幕目が圧巻だ。全員が「白鳥の湖」のときのような純白のコスチュ−ムを付けて踊るクラシックバレ−の典型シ−ンである。きっちりまとめ上げた頭の上には白いキャップを載せ、あくまでくびれた腰からはキノコのようにピ−ンと水平に傘のようなスカ−トを広げている。しなるように波打つ腕の動き、目の回るようなスピン、引力を忘れさせるような軽やかな跳躍、躍動する流れるような足の線、これぞバレ−の真髄なのだ。目の前で繰り広げられる夢のようなシ−ンに、ただ息を呑むばかりだ。
 

陶酔の二時間が終わり、我に返って劇場を後にする。夜の九時だというのに、まだ夕日は高く夜の到来などちっとも感じさせない。でも、さすがに人とくるまの往来は少なくなっている。夕日の明るい日差しの中を、独りてくてくとホテルへ向かう。






ボリショイ劇場前を走る劇場通り(夜の9時なのに夕日が輝く)













夕日に映えるアホートヌイ通り(劇場通りに続いている・夜の9時)










このホテルは観光には抜群のロケ−ションにある。クレムリンはもちろんのこと、赤の広場、レ−ニン廟、グム百貨店、聖ワシリ−寺院、ボリショイ劇場、国立歴史博物館など、モスクワ観光の主だったポイントがすべて指呼の間にある。このホテルに決めたのは正解である。帰り着くまでお腹の調子も無事保ってくれてほっとする。ホテルに戻ると、バナナとリンゴで夜食を取り、洗濯、シャワ−を浴びて床に就く。夜十一時、外はようやく薄暗くなりかけている。



(次ページは「レーニン廟、夜行列車」編です。)